GoRA PROJECT Group of writers who pursue for “A piece of work that can be enjoyed by anyone”

「赤くて大きな花の絵は」 鈴木鈴

 

「ミコトの赤を、もっと綺麗にしようと思った」

 それが、アンナの言い分だった。

 

「ちぃーっす……って、あれ。誰もいねーのかよ」

「いやいや、アンナがいるじゃないすか、八田さん!」

「うっせーよ鎌本! んなことは見りゃわかるよ! 言葉のアヤってヤツだろ!」

 どやどやと、そんな会話を繰り広げながら、八田美咲と鎌本力夫がバーHOMRAに入ってきた。

 確かに八田の言葉通り、店内には誰もいないように見える。クラシックな内装が調えられた店内に客がひとりもいないのは、まだ開店前だから当たり前として――マスター兼バーテンである草薙出雲の姿も見えないのは珍しいことだ。

 八田は鎌本をギロリとにらんでから、若干気まずそうな視線をアンナに向けた。

「お、おう。アンナ。草薙さん、どこ行ったか知らねーか?」

 店内のソファに、アンナはちょこんと腰を下ろしていた。純白の髪と、白磁の肌。華奢な身体を包むのは赤いレースに飾られたゴシックドレスという、まさしく人形然とした少女だ。感情の乏しい瞳を八田に向けて、アンナはふるりと首を振った。

「知らない」

「そっか。じゃ、ミコトさんは?」

「…………」

 アンナは一度だけ瞬きをする。そうして、その指を、対面のソファに向けた。

「そこ」

 八田は言葉を呑み、鎌本と視線を交わした。

 《赤の王》周防尊は、ここからは見えないだけで、実際はアンナの対面のソファに身を横たえているらしい。恐らくは寝ているのだろう。サバンナのライオンさながら、周防は一日を寝て過ごすことが多い。

(やべ、騒いじまった。……でも、起こしてねーよな?)

 肝を冷やしながら、八田と鎌本は、抜き足差し足でソファに近づき、周防の顔を覗き込んだ。睡眠の邪魔をするわけにはいかないが、仮に起きていたとしたら、挨拶のひとつでもしなくてはいけない。そう思い、ほんの確認しようと思っただけなのだが――

 そこで、八田は気づいておくべきだったのだ。

 ただでさえ大人しいアンナのテンションが、普段に輪を掛けて低いことに。

 きゅっと握りしめられたアンナの小さな手に、赤のサインペンが握られていることに。

 そして、アンナの赤い瞳に、涙が浮かんでいることに――

 気づくべきだったのだ。

 だが、愚かな八田と鎌本はそのことに気づかず、そして見てしまった。

 大きな、赤い花が、描いてある。

 どこに描いてあるのかと言われれば、周防の顔に描いてある。

 第三王権者、吠舞羅の『キング』、鎮目町の生きる伝説にして、敵対するものはことごとく焼き尽くす《赤の王》周防尊の顔に――描いてある。

「…………………………」

 八田と鎌本は、思わずアンナを見た。そしてもろもろのことに気づいた。テンションが低く、涙目で、そして、赤いサインペンを握っているアンナを。

「ミコトの赤を、もっと綺麗にしようと思った」

 アンナはそう言って、目を伏せた。

「今は後悔している」

 オレも後悔してる。八田は心の中だけで、そう思った。

 なぜこんなクリティカルな状況のときを選んでHOMRAを訪れてしまったのか。なぜこんなクリティカルな状況のときに、吠舞羅の副官たるべき草薙さんはどこにもいないのか。もしやこれを見て逃げ出したか――いや、さすがにそれはない。草薙出雲は飄々としてつかみどころのない男だが、仲間のピンチに逃げ出すような男ではない。

 そうだ。これは、アンナのピンチなのだ。

 八田は後悔した自分を恥じた。仲間のピンチに駆けつけることができたのだ。それを、むしろ名誉に思わなければならない!

「八田さん、どうします!?」

 小声で叫ぶ鎌本を、右手を上げて制して、八田はギロリと彼をにらんだ。

「お、おおお落ち着け!  鎌本!  腹ァくくれ!  アンナのピンチはオレたちのピンチだ……オレたちが、なんとかするんだよ!」

「さ、さすがっす八田さん! かっけぇーっす!」

 太った身体を震わせて感動する鎌本に、ビシリと親指を立て、八田はまずアンナに手を差し伸べた。

「アンナ。そのペンを渡せ」

 不思議そうに首をかしげながら、アンナはそれを八田に渡した。表示を見る。まるで当然のように記されている『油性』の文字。隣からそれを覗き込んだ鎌本が、小声で囁いた。

「八田さん、油性ペンって、確かアルコールで落ちたはずですよ!」

 八田の頭脳に閃くものがあった。アルコールといえば酒だ。そしてここはバーである。酒など、そこらじゅうに、いくらでもある!

「鎌本! 一番度数の高い酒を探せ!」

「わ、わかりました!」

 八田と鎌本はバーカウンターの内側に入り込み、所狭しと並べられている酒瓶を調べはじめた。ウォッカ、ラム、リキュールにバーボンと、アルコールというよりガソリンに近い種類の酒がドカドカと並べられ、八田はそれを片っ端から雑巾に含ませた。草薙が見れば怒りのあまり失神しかねない光景である。

「待ってろ、アンナ! 今オレたちが元に戻してやるからな!」

「う、うん」

 やや気圧されたようにアンナは頷き、八田は腕まくりをしながら、寝ている周防に近づいていく。高アルコール度数の酒を含ませた雑巾を、爆弾処理班さながらの慎重さで、大きな花マルが描かれている周防の顔に近づける。

「八田さん……」

「話しかけんな! 今、集中してるところだ!」

 押し殺した声と共に、八田は雑巾を動かして、ラクガキを消し去ろうとする。もしも今、キングが目を覚ましたら。八田はそれを想像し、恐怖した。鎮目町に住むものなら、周防の実力は誰でも知っている。自分など灰も残るまい。

「くそっ……汗が……!」

 脂汗が目に滲み、手元がおぼつかなくなる。辛そうに片目を閉じかけた八田の額を、ふと、拭う手があった。

 アンナがハンカチを持って、八田の汗をそっと拭っていたのだ。

「ミサキ。がんばって」

 その声に、八田は驚いたように目を見開き――それから、ニカッと笑った。

「……ああ! オレに任せておきな!」

 仲間のために血を流し汗を流す、それは、男の笑顔であった。

 

                        ◆

 

「ただいまー、っと、あれ? 八田に鎌本? なにしてんの?」

 十束多々良がHOMRAに入ってまず目にしたのは、両手で顔を覆いしゃがみ込んでいる鎌本と、ガックリと両手を床についている八田の姿だった。

「ダメだ……もうダメだ、おしまいだ……」

「……オレはダメな男だ……仲間ひとり、助けることもできないなんて……!」

 ぶつぶつとうわ言をつぶやいている二人からは、まともな返答は期待できなそうだ。買い物袋をテーブルに置いて、十束はソファでうつむいているアンナに近づく。

 そこで十束は、アンナの向かいで寝こけている周防の顔を見た。

「うわ」

 なんかすごいことになってる。

 もともとはマジックペンでなにかの絵が描かれていたのだろうが、処置を間違えたのだろう、赤いインク汚れが顔全体に広がってしまっている。グチャグチャである。王の威厳もなにもあったものではない。

 まあ、もともと周防は、そんなもの欠片も気にしたことはないだろうが。

 うつむいているアンナとテーブルに置いてあるサインペン、落胆しているバカ二人を見て、十束はだいたいの事情を把握した。それでも一応、尋ねる。

「これ、アンナがやったの?」

 アンナはぴくりと肩を震わせてから、小さく頷いた。

「……そう」

「ま、待ってくれ十束さん! それはオレが!」

「うん、八田はちょっと黙っててね」

 にこやかな笑顔で八田を黙らせ、十束は軽い足取りで周防に近づき、その肩を掴んでゆさゆさと揺すぶった。

「キング? キーンーグー。ちょっと起きてくれる?」

「……ん……ああ……? んだよ……」

 周防は不機嫌そうに呻き、起き上がった。アンナは緊張したように背筋を伸ばし、八田と鎌本はすでに息をしていない。十束は相変わらず気軽な仕草でスタンドミラーを持ち上げ、周防に突き付けた。

 周防は、そこに映った自分の顔を見た。

「……なんだ、こりゃ」

 ぼそりと響いた低い声に、部屋の空気が凍りつき――十束が、すぐにそれを解凍する。

「アンナがキングの顔にラクガキしちゃったんだって。で、八田と鎌本がなんとかそれを消そうとしたんだけど、失敗してこうなっちゃったみたい」

「…………」

「アンナ。こういうときは、なんて言うの?」

 優しい、しかし、はっきりとした十束の問いかけに、アンナは立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。

「ミコト。ごめんなさい」

 周防は気怠げに、頭を下げているアンナを見る。

「テレビでやってた、赤いお花畑が、とっても綺麗だったから……ミコトも、あれを、綺麗って言ってたから……だから……」

 だからなぜ周防の顔に赤い花を描くのか、その理屈は十束にもよくわからなかったが、とりあえず彼はニコニコしながらアンナの頭に手を置き、自分も頭を下げた。

「だってさ。だから、許してあげてよ」

 周防はぺちんと自分の顔に手のひらを当て、つぶやいた。

「それは別に構わねぇが……これ、落ちるんだろうな……」

「落ちる落ちる。鎌本ー、薬局で除光液を買ってきてくれるかな。マニキュアの」

「は、はい! すぐに!」

 鎌本は立ち上がり、HOMRAから飛び出していく。それを見送ったアンナの頭を、ぽんともう一度だけ撫でて、十束は明るい口調で、

「なにかに失敗したら、謝ればいいだけだからね。無理に消そうとすることはないよ」

「……うん。わかった」

 頷いて、ようやくアンナの顔に微笑みが戻った。それを見て、うんうんと頷いてから、十束は同じく胸を撫で下ろしている八田のほうに目を向け、

「だから八田も、謝るといいよ。草薙さんに」

「え」

「ほうほう、なるほどなぁ。スピリタスに、アプサンのプレミアムリザーヴ……へええぇ、ケーデンヘッド・エンモアまで使うたんかいな……」

 八田はぐるりとバーカウンターを見る。そこには、いつの間にか草薙が現れていた。腕組みをして、にこにこと笑っているが、サングラスの奥の目だけは笑っていない。

 なにしろ彼の目の前には、秘蔵の酒瓶がずらりと並び、そのすべてが口を開けられているのだ。なお悪いことに、カウンターの上には酒を含ませた雑巾まで置かれていた。

「俺のとっておきを、こないな雑巾に呑ませるなんてなぁ。八田くん、きみが酒のことをどう思うとるのか、よーくわかったわ……」

「ち、ちち、違うんです! 草薙さん! これは、その――」

「八田、八田。ちゃんと謝らないと」

「…………ご、ごめんなさい!!」

 草薙は凄みのある笑顔で、尻もちを突いた八田の前に立ちはだかり、

「ええこと教えたる。謝って許されるんはな、――小学生までや!」

 そう叫んで、八田の脳天に、痛烈な拳を打ち下ろした。

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