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「クロと善条」 古橋秀之

 

「ネコちゃんを、貸していただきたいのです」

 と、資料室を訪れた女性隊員は言った。

 大きな眼鏡を掛けた小柄な娘で、吉野と名乗った。まだ入隊して日が浅いのだろう。真新しい内務の制服も板につかず、まるで子供が服に着られているようだ。先ほどは善条を見るなりぺこりと頭を下げ、それから「あっ、敬礼!」と、あわてて敬礼をし直していた。

 庶務課の事務室に、鼠が出るのだという。

「それで、ネコだろうと。善条さんの飼われているネコが適任だろうと。そういう話になりました」

「確かに猫はいるが、私が飼っているわけでは……」

 当の猫が、足元で鳴いた。黒い、若い猫だ。

「む、失礼」

 ちょうど、餌の缶を開けかけていたところだった。善条が足元の餌皿に空けた中味を、猫は首を突っ込んで食べ始めた。ここに来た時にはポケットに入ってしまうような仔猫だったが、二ヶ月で体重が倍以上になっていた。

「ネコちゃんのお名前は、なんていうのです?」

「クロ、と呼んでいる」

「クロちゃんですか」

「うん……黒いので」

「なるほど、黒いです」

 吉野は神妙にうなずいた。

「それで、善条さんはそうやって、クロちゃんにごはんをあげたり、おトイレを掃除したりしてますのでしょう?」

「うん」

「それは『飼っている』ということなのでは」

「そうだろうか」

「じゃあ逆に、善条さんとしては、どういうのが『飼っている』なんです?」

 善条は首を傾げた。

「それは……本人が『飼われている』と言うなら、そうかもしれない」

 吉野は足元の黒猫に目をやり、それから再び善条を見上げた。

「本人、ですか」

「うん」

「じゃあ、このクロちゃんをお借りするには、誰にお願いすればいいんでしょうか……やはり“本人”?」

「いや……連れて行きなさい。言っても分からないだろう、猫には」

「ネコちゃんですからねえ」

 鼠は夜に出る。取りあえず一週間ほど事務室に置いてみよう、ということになり、黒猫は飼育用具一式と共に、吉野に引き取られていった。

「大事にします」

「うん」

 だが、翌朝――

 吉野は再び資料室を訪れ、善条がそれを出迎えた。

「……あっ、やっぱり」

「うん、今行こうと思っていた」

 善条は片腕に黒猫を抱えていた。出勤すると、資料室のドアの前で鳴いていたのだ。

「戻って来ちゃったんですねえ」

「うん」

「やっぱり、クロちゃんは善条さんのうちの子なんじゃないでしょうか。本人的には」

「そうだろうか」

「しかし、こちらにとっても、この子は必要な人材です。昨日はネズミを三匹も取ってくれました」

「そうか」

 吉野はドアの前に屈み、足元の一点を指した。

「ですから、例えばこのドアに、ネコ扉をつけてですね」

「うん?」

「ここから事務室にご出勤、ということで、どうでしょう」

「私は構わないが……」

「そうすると、餌代が庶務の経費から出ますので、善条さんも助かりますでしょう」

「なるほど、猫といえど、食い扶持くらいは稼げ……と」

 すると、吉野は顔を上げ、きっぱりと言った。

「いえ、これは人間同士の都合です。クロちゃんが気にすることではありません」

「……うん?」

「ネコはただネコであればよいのです」

「そうなのか」

「そうなのです」

 黒猫が腕からすべり降り、善条を見上げて、なにか訴えるようにひと声鳴いた。

「おなかが空いているそうです」

「……ああ」

 善条は部屋の奥を振り返った。だが、買い置きの餌は昨日、すべて事務室に預けてしまっていた。

「これをどうぞ」

 吉野が制服のポケットから小さな缶詰を取り出し、善条に差し出した。

「では、クロちゃんのおトイレとかベッドとか、持ってきますね」

 そう言ってきびすを返し、三歩進んだところで「あっ、敬礼!」。

 善条は猫缶を持った手で答礼した。

 にゃあ、と足元で黒猫が鳴いた。

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